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年末に箱根駅伝の山登り5区を走り切ることについて語るときに僕の語ること

いっぱしのランナーとして読んでおくべきマスト本というのがある。いや、どうやら色々とあるらしい。例えば世界中のトレイルランナーにとって大ヒットした「BORN TO RUN」を読んだことがないなんてマジ!?って感じだろうし、それ以前にそもそも日本人であるのにHARUKI MURAKAMI読んだことないの?マジ!?って私は言われてきました。

実は村上春樹はランナーとしても有名ですが、そんな彼のランナー必読の書「走ることについて語るときに僕の語ること」を今更になって手にとって読んでみました。中身としては彼がいかに小説家という職業、いや「生き方」にとってランニングが重要であるかを独特のリズムで書き記したエッセイみたいな本です。仕事のかたわら趣味で走り続けいている私としても共感する部分が多く、あぁ、もっとランニングを人生の一部として、仕事の一部として肯定していいんだなと、再確認してなんだか高揚しているのが今です。

さて、この村上春樹的高揚をひきずるのはこの投稿のタイトルまで。書きたいことは毎年年末に箱根駅伝の山登りのコース(5区)を死に物狂いで走ることについて、です。

そもそも箱根駅伝の5区とはどんなコースか

箱根駅伝は往路(1区〜5区)で大手町から箱根の芦ノ湖まで5人でタスキをつなぎ、復路でその逆をまた5人(6区〜10区)でつないぐ日本の正月恒例イベントですね。そう、5区というのはこの往路の最後、箱根の山登り区間です。

コースの詳細はRuntripという便利なサイトがあったのでこちらにまとめておきましたのでご覧あれ(箱根なんでもちろん温泉で締めます、最高です)


箱根駅伝5区からの温泉を年末に満喫するコース|Runtrip

ちなみに私がいつも走るのは交通とロッカーの便から、実際の5区の最初の2kmぐらいの平坦な道を端折ったコースです。箱根湯本の駅から出発すると、はじめから悲しいぐらいにひたすら登りです。こんな感じです、辛いです。これをノンストップで芦ノ湖まで18kmを走り切ります。

走る人に共通しているであろう特性に関して

人は誰しも異なる。人種や性格、趣味や仕事。スポーツを積極的にやる人もいればそうでない人も、球技が好きな人がいればたんたんと走るだけのランニングが好きな人もいる。このダイバーシティというのはすごく大前提で人付き合い、物事を考える上ですごく重要なのですが、そんな中で「ただひたすらに走る」ということをまぁよくも飽きずに続けている人というのは、やっぱり何か共通点があると思うのですね。

結論としては、「自分に対して負けず嫌いな人」なんだと思います。誤解を恐れずいうと、何かのフィールドで1番になりたいとか、競争相手をすごく意識して打ち負かすことにすごく情熱が傾く人、ではない。自分がこれと信じたものに対して魂を削ってコツコツ磨いていく、そういった美学を持っている人な気がします。かっこよく言うとなんですが。

走ることの圧倒的な特徴としては「自分に対する”なぶり殺し”」みたいなもので、圧倒的な孤独の中でとにかく自分の意識がほぼ100%自分の内側、心に向かってきます。辛くなればなるほど、「あ〜しんどい」とか「なんでこんな辛い思いしてんだろ」とか「ぎゃ〜早く終えてビール飲みたい」と考えます。これが他のスポーツだと「相手の動き/心理」「ボールなどの対象物」に自分の意識が向かいますよね。そういった対象物が自分しかいないので心の逃げ場が無い。だからひたすら自分と向き合う、鏡越しの自分がずっと走っている最中にこっちを見てくるのでそいつをぐっと睨み返して歯をくいしばり続けるのがランニングという苦行と言えるでしょう。

自分を睨みつける自分を正していく

そんな変態的な「走る」という行為なのですが、ずっと走り続けているとそんな自分との付き合い方がうまくなっていくんです。これがより長く、より速く走れるようになるということなんだと思います。鏡越しにずっと覗いてくる自分を睨み返すことはせず、まぁまぁまだイケるっしょ、苦しくないよもっと頑張ろうぜって、クールにいなし続けることができるようになってくるのですね。そうやって自分という心と向き合い続けることで、「走ること」を通じて随分人間として鍛えられたなと、走り続けてきて思います。健康面の恩恵はもちろんですが、それよりも心を鍛えてもらえるのが「走る」という行為なんですね。

ちなみに筋力トレーニングやランニングマシーンを利用した有酸素運動でも同様なことが言えそうですが、やっぱりロードやトレイルを直に走って、流れ行く街並みや自然を受け入れたりくぐりぬけたりして5感をフル活用する「走る」という行為には、身体にも脳にも心にも、何か特別なものがあるような気がしてなりません(実際には科学的に証明されているものがたくさんあるのですが、ここでは割愛)。

箱根の山は天下の険

そんな「走ること」の1年の集大成として箱根の山を登り切るというのが、まぁなんとも爽快なんです。書きたいことはただそれだけです。ただひたすら曲がりくねったロードを駆け上がる、真冬の箱根なんて下手したら氷点下になります。走り続けて登り切るのは本当に辛いのですが、ひたすら15kmぐらい登り続けて、この上の写真にある国道1号線の最高地点(874m)まで登りきった時の「あぁ、今年もなんとか走り切れた」という安堵感と、そこから一気に降って芦ノ湖のゴールに向けて走る疾走感がまた最高なのですよね。その後に温泉&ビールも待っていますしね。年の最後に、苦行を通じて自分の成長を噛み締め、自己肯定してあげる作業です。

ちなみに去年は圧倒的に走量が例年より足りなかったのですが、例年と同じペースで走りきることができました。明らかに実感したのは「弱い自分との付き合い方」が昔に比べてうまくなったなぁということでしょうか。年齢を重ねて基礎体力が落ちてきても、こうやって心を育てて、自分の心との並走の仕方がうまくなっていくことによって、いくらでもまだまだ向上していけるのですよね。何事も。

走ることから学ぶことは、かくも尊いのでございます。

マインドフルネスランニングというものにつながった。

mindfullnessrunning

mindfulnessrunning

昔から、もっともっと心を強くしたい、鍛えたいと思うことが何度もあった。

何かに導かれるように、ランニングをかれこれ10年近く続けている。それなりに早く長く走れるようになった。

ストイックなランニングが素晴らしいのは、何より自分の心との戦いだから、他にすることないから、自分の弱い部分の心と戦い続けるしかないのです。

同時に何とも言えない爽快感を味わえるのがランニングで、それは有酸素運動という人間の身体が本能的に求めるアクティビティであるからだし、きっとのランニングと脳には密接なつながりがあるのだろう(科学的な知見も色々あるだろうが詳しい話はまったく知らない)

そこで最近出会ったのが「マインドルフネス」たるもの。出会いはこの本。

サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

Googleのメン・タンさんがEQ(頭脳の知能指数IQではなく、心の知能指数のこと)と瞑想を科学的アプローチをベースとしてプログラム化したものが「Search Inside Yourself」で、既にかなりの数のグーグラーがこれで心を鍛えてるそうだ。

今年は本当に心がざわつくことが多く、メンタル不健全なことが多かったので、ふと出会ったこの概念がスッと身体に入ってきた。瞑想と脳の関係も科学的に証明されるものが日々多いようで、例えば瞑想によって物理的に脳の構造が変化することも科学的に証明されているそうです、すごい。

そこで瞑想やマインドフルネスの根底にある概念と、ランニングの類似性を見出したわけで。

実際調べると、ランニングは「走る瞑想」と言われることもそうで、なるほどそう思います。

雑念がある状態で走りはじめても、10km、15kmと走るうちに最後はすっきり雑念も消えて、心も身体も心地よい疲労感とともにスッキリする。走れば走るほど、苦しくなればなるほど自然と呼吸に意識が集中し、無心で自分の身体と心に向き合う。まったくこれは瞑想の一部ですね。

数年前から山を走るようになり、いわゆるこれもトレイルランニング(トレラン)とカッコよく呼ばれたりするのですが、こちらはやや山岳アクティビティ的な要素が強いものの、実際呼吸に集中し、心と身体が強度の集中状態になると、自然と一体化した気分を味わえることがあるのです。これがなんとも気持ち良い。これはまさに走るという行為を通じて、自分の心が洗練されて、何か自分がより大きなものの一部になれる瞬間なんですね。(これ以上は怪しい話に聞こえるのでやめておく)

そうやって気がつくと、走るという行為は心を鍛える行為でもあったわけで。

ではそのマインドフルをより意識したラン、つまりいつもの逆ですね、走る行為を通じて心を鍛えるのではなく、心を鍛えるために走るという行為を利用する。坐禅という一定の状態から様々なポーズに昇華したヨガのように。

これは確かに、「マインドフルネスランニング」と呼べるでしょう。

ちなみに「心を鍛える」という表現は適切ではないかもしれないけど、自分にはややストイックなテイストの方が好き。そしてマインドフルネス/瞑想も簡単に高い次元にいけるわけではないので、筋トレ、ランニング、語学と同じでとにかく継続して続けることが大事。

だから、心も身体も鍛える。

だからマインドフルネスランニングをする。